Friday, November 19, 2010

ビールについて思うこと

 僕はビールが大好きだ。旅先でも、現地のビールを飲むのが楽しみである。その時思うのが、日本のビールはなんて高いんだろうということ。ドイツではスーパーで80円くらいで買えるし、ルーマニアは40円だった。
 税金がやたら高いということがあるだろう。そして、日本では税金を逃れるために各メーカーが苦心して、発泡酒や第三のビールを開発するという状況になっている。そうした規制の中で努力するという日本の技術はすばらしいと思う。しかし、文化的な観点からみると、やっていることは貧しいように思える。ドイツでは麦とホップで作られたもののみビールを名乗ることが許される。日本では科学技術によって本来ビールの素材ではないものを使って、ビールそっくりの飲料をに作り上げることに苦心している。ニコニコ動画のタグにある「才能の無駄遣い」という言葉がぴったりである。その技術を麦とホップだけをつかった、よりおいしいビールを作るのに活かすべきだろう。くだらない税制のせいで、くだらないものが出回るのだ。
 よくテレビで、中国でいかにも胡散臭い模造品が作られていたりするのを嘲笑気味に取り上げるものがあるが、発泡酒や第三のビールなんぞを飲んで喜んでいる人には笑う資格はない。同類である。

 というわけでどんなに高くても本物のビールだけを買って飲みたい。

Sunday, November 14, 2010

「世界の半分」エスファハンで美女と写真をとる

9月19日、前日と同じようにイマーム広場に行った。宮殿に行って広場を2階から見渡すと見晴らしがよかった。          










疲れたので広場に出て座っていた。相変わらずピクニックをしたりおしゃべりをしたりというのどかな風景である。すると一見日本人風のおじさんに「一緒に話そうよ」と声をかけられた。聞いてみると彼はアフガニスタン人であるそうで、今はイランに住んでいるという。中国系の血が混じってるのか?と聞いたがうまく伝わらなかったのか、違うと言っていた。でもモンゴロイド的な顔だった。こういうおじさんに話しかけられても別に楽しくない。特に話すこともないからだ。日本人ということで興味を持ってくれて話しかけられるのは、はじめはうれしいが、何度か同じような会話が繰り返されると、飽きてくる。というわけで愛想悪くしていたら、じゃあねといって去ってくれた。

 さて本題に入る。その後、アッバースという青年に声をかけられた。彼は理科系の大学院生で、自分の英語をためしたいんだといってもしよかったら一緒に歩かないかと言ってきた。半分疑いながら一緒に話をした。アッバスーは友人2人とエスファハンに旅行に来ているそうだ。イラン政府のことやマレーシアに留学したいと思ってることなどいろいろと語ってくれた。そんな中で、イランの女の子は美人だという話をしたら、乗ってきてくれて、おしゃべりをしたいと言ったら通訳してあげるよと言って、一緒に歩いて声かけようとナンパの旅が始まった。
 かわいい子を見つけた時のサインも決めて歩いた。面白いのは美人の判断が大体一致したことだ。しかし声をかけるにも注意が必要だ。家族で来ているような子に声をかけるのは難しい。そういう家は宗教的な家なのだそうだ。ねらい目は女の子どうしで語り合ってるような集団なのだそうだ。
 噴水のところに美女6人組がいた。アッバースは通訳をしてくれた。軽く自己紹介をし、雑談をした。さらにアッバースは僕のカメラで写真を撮ってくれた。

 


今回の旅で一番価値のある写真だろう。

厳格と言われるイランでこんな写真が撮れるとは!アッバースに大感謝だ。メルシー!!

ちなみにアッバースはコマンドをやってるらしく、マッチョなイケメンだ。


広場でピザをごちそうしてくれた。アッバースの友人二人と合流し、友人の車で橋まで行った。夜の橋はライトアップされていてとてもきれいだった。帰りは宿の近くまで送ってくれた。最高の夜だった。

Thursday, November 11, 2010

ジョルファー地区のリッチカフェ

 9月19日、エスファハンにはジョルファー地区というアルメニア人地区がある。他の都市にもいくつかあるらしく、ジョルファーという都市もある。アルメニア人地区はシリアのアレッポやイスラエルのエルサレムにもあった。アルメニア正教会という独特の形の教会があるのだ。
 宿で同じ部屋だった大学生(ヤズドの宿でちょっとだけ会ってのちにテヘランでも会うが、名前と連絡先聞くの忘れた)が「2人の女の子にジョルファー地区をいろいろ案内してもらった」と言って写真まで見せてくれた。
 そんなことがあるのかと思い、期待してジョルファー地区にいった。


これはマクドナルドではない。たぶん少し高めのハンバーガー屋だ。イランにはコカコーラは流通しているが、マクドナルドはないのである。食事に関して、今まで行ったところで食事が根本的に口に合わないということはなかった。別に白米がなくてもいい。ただ、フライドポテトは無性に食べたくなるものだ。しかしイランではポテトチップスしか食べることができなかった。
 アルメニア教会が15時に開くそうでそれまで時間があったのでどこかゆっくり出来そうなところで時間をつぶすことにした。ちょうど教会の門の向かいにバーのような感じのカフェがあった。少し高そうだが、ゆっくり居座るつもりで入ることにした。中は客は1人しかおらず、マスターと話していた。
 メニューをもらうと、カフェモカ 5000、と書いてある。ただしこれには注意が必要だ。こうした表記は5000リアルではなく5000トマン(1トマン=10リアル)である可能性があるからだ。結局、ホットドッグ(といってもソーセージとポテトチップスだった) 6000も注文した。食べ終わってとりあえず会計を頼むと案の定110000リアル請求された。イランにして昼食でこれほど使うとは。朝食に食べたファラフェルサンドは7000リアルである。せっかくタクシーやらなんやら値切ったりして節約しててもこんなところで使ってしまう。それでもイランにもこういうところがあるということを知れたとプラスに考えることにしようとおもう。マスターは髭の生えたたくましい青年で年を聞いたらなんと22で同い年だった(!)。大人っぽいなと言ったら、13の時から働いているからねといった。なんと22歳にしてこの店を持っている。こんな高くてお客さんは来るのかと聞いたら、夜になれば来るよといっていた。タバコを吸いにきたり、カップルがおしゃべりをするために来るらしい。



アルメニア教会には博物館がくっついていて、アルメニア人虐殺の資料などが展示されていた。

宿の日本人みたいな出会いはなく、残念だったが、この後イマーム広場で特筆すべき出会いがあった。これはまた次回upする。

Monday, November 8, 2010

エスファハンでの出会い

 9月18日にヤズドの宿を出た。シルクロードホテルの従業員はタクシーでバス乗り場まで行くように勧めたがいやだと言ったら急に冷たく早く出ていけとでも言いたげな態度となった。宿をでてロンプラに書いてあるバスターミナル乗り場までの市バスにのったつもりだった。しかし、降りてみると、ヤズドについたときのターミナルはなく、小さなバス乗り場だった。安く上げようと思ったのに結局タクシーに乗って20000リアルも払い、時間もかかってしまった。おとなしく宿からタクシー乗ればよかった。。。

 エスファハンではAmir Kabirという宿にとまった。ここはドミトリーが5万リアル(約5ドル)とイランで止まった中で最安だった。しかし、ドミトリーといってもベッドの部屋はいっぱいだそうで、中庭の地下にある4畳半くらいの部屋に4枚の布団が並べられただけの部屋だった。布団は汚く、シーツが取り換えられて内容だった。気持ち悪いので、持ってきた寝袋を敷いた。前回の旅では使わなかったので、今回は役に立ってよかった。

 高校の世界史で、「世界の半分エスファハン」という記述があるが、これはエスファハンにある、イマーム広場のことである。巨大な中庭の周りを外壁がかこっていて、宮殿とモスクが隣接している。
中庭の芝生では例によって、イラン人たちが家族でピクニックをしたり、友達同士で語り合ったりしている。


 エスファハンには何日かゆっくりと滞在しようと思っていたので、ゆっくり観光することにした。この日は5時にしまってしまうイマームモスクを訪れた。


 イマームモスクの中で、イラン人の家族に声をかけられ、日本人であるというと、写真を撮ろうといわれた。





写真には写っていないが、カミーというテヘランに住む48歳のおじさんの家族で、カミーの両親、奥さんとその親戚で来ていた。写真は左から、カミーの奥さん(愛称はブー、アラビア語でハビビ=愛の意味らしい)、ブーの姪のシェーラ、同じく姪(だったはず)のメーラサとその旦那(写真では切れてしまっている。)シェーラとその両親はドイツのハンブルクに住んでいるという。僕は2年前の夏にハンブルクに1か月ほどホームステイしたことがあったので、どこか親近感がわいた。というかかなりの美人である。カミーたちは今晩飛行機でテヘランに帰るそうだ。モスクを出た後も、お土産屋の通りを歩きながらいろいろと説明してくれて、イラン語でのあいさつや、道の聞き方をノートに書いてくれた(これはこの後の旅でかなり役に立った)。
 最後に電話番号を教えてくれて、テヘランに来たらぜひとも電話するように、そうしたら案内するよと言われた。

 テヘランにもう行かない予定だったが、やっぱり行こうかなと気持ちが傾き始めた。

Sunday, November 7, 2010

ヤズドで反米デモ

9月17日は金曜で、イスラームの休日にあたる。ずっと早足で移動してきてゆっくりしてなかったので、ヤズドのシルクロードホテルの居心地がいいこともあり、もう一泊することにした。
金曜はモスクで集団礼拝が行われる。東京ジャーミーの金曜礼拝も何度か見学していたので、ぜひともイランでの金曜礼拝がどんなものなのか見てみたかった。観光案内所でモスクの場所を教えてもらい、紙にペルシャ語で書いてもらった。その紙を道行く人に何度か見せて礼拝の行われるモスクにたどり着くことができた。ただ、モスクについたものの、ムスリムではない私が入っていいのかよくわからない。異教徒だといってトラブルになっても面倒である。そのようなことを考えながらモスクの入り口に立っていると、「ミステル!」と身なりのいい派手目のスーツのおじさんに声をかけられた。「見たいんだろ」といって、ついてくるようにいった。途中荷物検査のおじいさんがいたが、おじさんと何やら話して、荷物を持ったまま中に入ることができた。
 

中に入ると、質問攻めにあった。

「ジャーナリストか?」
「いや学生です」

「宗教は?キリスト教か?」
「yes. (最初ブディーっといったのにうまく伝わらなかったのでキリスト教徒ということにしてしまった。)」

「コーランを知ってるか?アメリカでコーランが燃やされたことについてどう思う?」
「あれはクレイジーだ。ひどいよ」


など。あんまり英語で詳しく意見を言うことができなかったのがもどかしかったが、歓迎された。上の右の写真に写っている迷彩服を来た集団は軍人ではない。そのうちの一人は、理科系の大学をでているといっていた。なんでも風紀の乱れたものを取り締まるようだ。歩き方に書いてある宗教警察だろうか。「危険じゃないから怖がらなくていいよ。タリバンじゃない」と言っていたが、モスクの中でも異様な存在感であった。


おじさんが礼拝の写真も撮っていいよというので、撮らせてもらった。

すると礼拝の途中で一人の男が壇上に上がり、アジテーションが始まった。どうやらアメリカでのコーラン問題への抗議らしい。





礼拝が終わると、デモあるぞと言っておじさんについてくるように言われた。群衆の中を急ぎ、出口のところには街宣車があって、さっき壇上にいた男がアジテーションをしていた。するとおじさんも梯子をつかって車に上りだし、カメラを貸せといった。彼は僕のカメラで、デモ行進の様子を車の上から移してくれた。デモは男女に分かれている。特にこのデモに参加していた女性は皆、黒いチャドルを着ていた。




  
彼もデモを主催する側の人間だったのだ。テレビカメラでの撮影もしていた。だからモスクにも入れてくれたのだろうか。それにしても、礼拝という宗教的な義務の場でそのまま政治活動を扇動するとは巧妙である。


この行進はチャックモックという建物の前の広場まで続いた。広場までつくと、声を上げて行進していた人々は散り散りとなり、もとの平和な金曜日へと戻った。

Wednesday, November 3, 2010

「不浄の手」論

インドには行ったかことがないが、インド、中東、東南アジアなどの地域には不浄の手の観念があり、食事を手で食べるときは右手だけを使うであるとか、握手は右でするのがマナーであるといったことがガイドブックや異文化紹介の本などに書かれている。
googleで調べてみるとヒンドゥーでは、とかイスラームではといった宗教的なものが根拠であるといった説明がされているものがある。大学の異文化コミュニケーションの授業でも、文化の違いで摩擦が起きる例として、そのことを取り上げ、先生は宗教的な理由であると説明していた。

しかし、トルコへ行ったときに「不浄の手」の本当の意味が分かった。
おじさんが個室から出てきて、その時に中指と薬指だけを少し前に伸ばした状態であったのである。これらの地域のトイレは、和式便所の前のカバーがない形のトイレで、基本的にトイレットペーパーがなく、横に水道がついていて、桶でがあったりホースがあったりするものだ。大をしたときにどうするのかといえば、手でふき取って、水で洗うのである。
右利きの人が多いからと左手は拭く用の手になるというわけだ。
 トイレの手を洗う場所には、においの強いソープがおいてある。だから、厳密な意味で汚いということはない。しかし、自分が左手で拭いて相手も左手で拭いているのがわかっているからこそ、この手で相手に触るのは失礼だといった観念を皆が共有することができるのだと考えられる。あの個室から出てきたおじさんのしぐさこそそれを象徴しているのだ。

ちなみに僕は旅行の時に今までは必ずトイレットペーパーを持って行っていたので、左手は不浄ではありません。